プチ観光 富山城趾

今回のプチ観光は、JR富山駅の近くにある富山城趾及びその周辺です。


 富山城は、16世紀中ごろ越中東部への進出を図る神保長職により築かれました。

その後、寛永16年(1639年)に、加賀藩第三代藩主前田利常は次男利次に10万石を与えて分家させ、富山藩が誕生し、万治4年(1661年)、幕府の許しを得て富山城を本格的に修復し、明治維新までの富山前田氏13代の居城になりました。

 富山城は、天然の要害である神通川を北面の守りとした後ろ堅固の梯郭式平城で、四周を水濠と河川とで2重に囲まれたことで、神通川の川面に浮かぶような様子であったから「浮城」とも言われました。

また、「安住城」ともいわれ、続日本100名城の1つです。なお、瀧廉太郎の「荒城の月」の着想の元になった城の一つといわれています。



 富山城趾公園にある擬似天守は、富山郷土博物館になっています。中世から近代に至る富山城及び城下町について、紹介されています。

石垣は「野面積み」「布積み」「算木積み」の解説が丁寧にされており、解説を読んだ後、ゆっくりと石垣を堪能できます。

また、巨大な鏡石も6つあるようです。公園には、千歳御門や佐藤記念美術館などがあります。


 城跡公園の次には、日本刀を展示している森記念秋水美術館に行きました。

この美術館の日本刀コレクションは、全国でも有数の作品が展示されています。

美術館の名称は、曇りのない研ぎ澄まされた日本刀を意味する「秋水」から付けられたようです。

日本刀の怪しげな輝きと刃文の形、そして、刀剣の姿全体を、それぞれの日本刀を比べながら楽しむことができます。

なお、越中国(富山県)は、天下三作の一人、郷義弘を輩出した地で、室町時代には宇多派の刀工が活躍した刀剣の産地でした。


 


富山に来た時には、武士の時代に触れてみては如何でしょうか?

 (観光ビジネス研究会 岡村善裕)

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Q1 富山は、薬で有名なんでしょう?

A1 はい、富山の売薬として有名です。

加賀藩から分家した富山藩は、生産性の低い領地などで財政難でしたが、第2代藩主・前田正甫が薬に興味を持ち合薬の研究をし、「反魂丹」が開発されました。

正甫が、参勤交代で江戸城に登城した時、ある大名が激しい腹痛を訴え、「反魂丹」を進めたところ、たちまち治り、その様子を見ていた諸大名が、自分の領内で「反魂丹」の販売を求めたことが富山売薬の始まりと言われています。


Q2  富山は、ガラスも有名なの?

A1 はい、そもそもの発端は、「富山の売薬」に由来します。

明治・大正期には、薬の周辺産業としてガラスの薬びんの製造が盛んに行われ、全国のトップシェアを誇っていました。

今では、薬の容器がガラスからプラスチックへと代わってきたため、ガラスの薬びんは、衰退しています。

しかし、富山市は、「ガラス」の将来性や国際性、市民との親和性に着目し、昭和60年に「市民大学ガラスコース」を開講したことで、市民がガラスに親しむ機会が生まれました。

これを機に「ガラスの街とやま」への取り組みがスタートしました。ガラスに関する施設として、「富山市ガラス美術館」「富山ガラス造形研究所」「富山ガラス工房」があります。

観光レポート

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