大阪七福神巡り

七福神めぐりは、のんびりと1日で歩ける範囲で七社寺を巡るもので、江戸時代に庶民が行楽気分で巡拝できるものとして親しまれてきました。

 

大阪七福神は大阪市内の3つの神社と4つのお寺を巡るものです。



三光神社:寿老人(じゅろうじん)は道教の神で南極星の化身の南極老人です。

日本の七福神の一人としては白鬚明神とされることもあります。

にこやかな微笑みをたたえ、手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿が一般的に知られています。

団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴です。長寿延命、富貴長寿の神として信仰されています。


長久寺:福禄寿(ふくろくじゅ)は道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星の化身の南極老人です。

名前は、幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の三文字からなっており、長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴です。招徳人望の神様として信仰されています。



法案寺:弁才天/弁財天(べんざいてん)七福神の中で、唯一の女神で、インドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神です。

仏教に取り入れられ、音楽の神、言語の神となりました。日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれていました。

その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天といわれるようになり、財宝を授けてくださる神へとなりました。

知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があると言われています。



宝満寺・大乗坊:毘沙門天(びしゃもんてん)はインドのヒンドゥー教のクベーラ神です。

戦いの神でしたが、仏教に取り入れられてから、四天王の一仏で、別名「多聞天」といい、七福神の中で、唯一の武将の姿をしていて、右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけています。

七福神では、福徳増進の神として信仰されています。



大国主神社:大黒天(だいこくてん)はインドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神が、日本古来の大国主命と習合したものです。

一度仏となり、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたといわれています。

そしれ、大地を掌握する神様(農業)でもあります。

大きな袋を背負い、打出小槌をもち、頭巾をかぶられた姿が一般によく知られていて財宝、福徳開運の神様として信仰されています。




今宮戎神社:恵比寿(えびす)は唯一日本由来の神です。

イザナミ・イザナギの間に生まれた子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れたのが、信仰のはじまりと伝えられています。

左手に鯛をかかえ右手に釣竿を持った親しみ深いお姿で、古くは「大漁追福」の漁業の神でしたが、時代と共に「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神様として信仰されています。



四天王寺:布袋(ほてい)は唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の禅僧で、弥勒菩薩の化身ともいわれています。

いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたと言われています。笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰されています。


七福神巡りは御朱印を頂きながら、途中に昼食を挟みゆっくりと歩いても1日で十分巡ることができます。


ちなみに、七福神は神仏融合の極みで、他国から見れば違い宗教が混ざっていることは到底理解できないものです。

これは日本人が神様、仏様をその時々に使い分け、祀る考えがあるからです。


これを堪能できる七福神巡りを一度してみては如何でしょうか?


(観光ビジネス研究会 岡村 善裕)

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