プチ観光 – 鳥取城
今回のプチ観光は、JR鳥取駅から歩いて30分程度にある鳥取城です。
鳥取城は久松山(標高263m)の山頂と山麓に城郭が築かれ、山頂の戦国時代の山城(山上の丸)と、
麓の近世城郭の平城(山下の丸)からなる城です。
山上の丸にはかって天守がありましたが、現在は天守台が残るだけで、遺構はほとんど失っています。
山下の丸は久松公園として整備され、仁風閣や県立博物館が立っています。
鳥取城は因幡を統治した山名氏の出城として、1545年に久松山に築いたと伝わっています。
1581年に当時の城主である山名豊国は、羽柴秀吉の1回目の鳥取城攻めによって、
同盟を結ぶ毛利氏に背いて秀吉に降ったため、家臣に追放されたと言われています。
代わって吉川経家が城主になりましたが、秀吉の2回目の鳥取城攻め(鳥取城の飢え殺し)で落城しました。
関ケ原の合戦後、姫路城主池田輝政の弟・池田長吉が城主となり、山上・山下の城域を拡張しましたが、
岡山城に転封した池田光政に代わって池田光仲が入り、以後、鳥取城下は光仲を藩祖とし、
直系子孫によって明治まで12代238年間つづきました。
天守は1692年に落雷で焼失しました。山頂の天守は戦後時代までは軍事的に重要でしたが、
平和な江戸時代にはその役割を失い、焼失以後再建されませんでした。
そのため、城の中心は二の丸となり、二の丸が「本丸」と呼ばれるようになりました。
久松公園の近くにある長岡神社は1545年に因幡国布勢城山名誠通が久松山に初めて築城した際、
この社を城外の東南の山麓に奉遷されました。
なお、1581年10月に羽柴秀吉が鳥取城を攻略の際に、この社に戦勝の祈願をしています。
今回は残念ながら天候が悪く山頂の天守台を含めて城跡をゆっくりと散策できませんでしたが、
駅近で仕事の合間の観光にちょうど良いと思います。
(観光ビジネス研究会 岡村 善裕)
Q1 カニなど海産物以外に鳥取には美味しい名物はあるの?
A1
B級グルメに鳥取カレーと牛骨ラーメンがあります。
鳥取カレーは特に定義はなく、
「県産品を使ってカレーをつくる」ことを推奨している程度です。
なお、鳥取県は
一世帯あたりのカレールウの購入量・購入金額ともに日本有数の消費県です。
牛骨ラーメンは牛骨をベースにスープを取るもので、全国的にも珍しく、
鳥取県の中部地域以外には、山口県の下松に少しある程度のようです。
鳥取県は大山を抱え、広大で豊かな自然の中、牧畜業、とくに牛の生産が盛んな地域で、
50年ほど前に手に入りやすかった牛骨を使ってラーメンが作り始められたようです。
牛骨ラーメンはスッキリとした味で美味しかったです。
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